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[:ja]マイルス・デイビスのディスコグラフィー[:en]Miles Davis’s Discography[:] | MILES DAVIS MUSIC
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[:ja]マイルス・デイビスのディスコグラフィー[:en]Miles Davis’s Discography[:]

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40年代

1944年、セントルイスでチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーの演奏に衝撃を受けた18歳のマイルスは、プロのミュージシャンを目指し16歳で結婚した女房と子供を連れ、ジャズの中心地だったニューヨーク行きを決意します。

ジュリアード音楽院に通いながらパーカーやガレスピーとともに過ごし、彼らからどん欲に音楽を吸収しつつ自分のスタイル確立を目指していました。パーカー、ガレスピーの両巨頭、ビ・バップの次代を担っていく才気あふれる若手ミュージシャンたちとのいわば帝王マイルスの修行時代。

切磋琢磨したミュージシャンたちは、その名前を少しあげるだけでも行間に強烈な個性が漂ってきます。セロニアス・モンク、ギル・エバンス、マックス・ローチ、ミルト・ジャクソン、ソニー・ロリンズ、フレディ・ウェブスター、J.J.ジョンソン、ファッツ・ナバロ、コールマン・ホーキンス・・・。

FIRST MILES(1945-47/SAVOY)
BOPPING THE BLUES(1946/BLACK LION)
AT THE ROYAL ROOST 1948 AT BIRDLAND1950,1951,1953(1951-53/CHARLY)
THE METORONOME ALL-STAR BANDS(1949/RCA)
BIRTH OF THE COOL(1941/CAPITOL JAZZ)
IN PARIS FESTIVAL INTERNATIONAL DE JAZZ(1949/COLUMBIA)

 

50年代

“ジャズ”マイルスにおける最初の黄金時代となった50年代。53年頃に麻薬からの脱出を成し遂げたマイルスの傑作ジャズ連続攻撃ともいえる時代です。60~90年代まで他を圧倒するオリジナリティで音楽を創造したマイルスですが、その起点となるような萌芽がいくつか感じられる時代でもあります。

ジャズ史上最高傑作『カインド・オブ・ブルー』を筆頭に、ギル・エバンスとの『スケッチ・オブ・スペイン』、映画『死刑台のエレベーター』、プレスティッジへのいわゆるマラソンセッション、『クッキン』、『リラクシン』、『スティーミン』、『ワーキン』・・・。

ジャズ・ファンの間では当時のマイルス・グループメンバーは「50年代黄金のクインテット」などと呼ばれます。ジョン・コルトレーン(サックス)、レッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラム)の5人です。

ジャズ名作揃いの50年代ですが、しかしやはり『カインド・オブ・ブルー』は圧倒的。ジャズにおける教典の域に到達しています。とはいえ、スケッチ・オブ・スペインも大好きで、リラクシンもポーギアンドベスもやめられないと考えるとジャズファンとして魅力のつきない50年代なのです。

当代の名歌舞伎役者、中村吉右衛門は何かのインタビューでこう言っていました。日本を代表する一流の表現者はさすがです。「死刑台のエレベーターという映画で、マイルス・デイビスという人がトランペットでした。(マイルスには)詳しくないのですが、その音楽が激しく胸に飛び込んできました。ヌーベルヴァーグの時代でした。いまもその気分で舞台に立ちたいと思っています。いまやオールドヴァーグですが(笑)」

MILES DAVIS AND HORNS(1951-53/PRESTIGE)
CONCEPTION(1951/PRESTIGE)
DIG(1951/PRESTIGE)
OUR DELIGHT(1952/PRESTIGE)
MILES DAVIS Vol 1 & 2 complete series(1952-54/BLUE NOTE)
COLLECTORS’ ITEM(1953-56/PRESTIGE)
BLUE HAZE(1953-54/PRESTIGE)
AT LAST! MILES DAVIS & LIGHTHOUSE ALL-STARS(1953/CONTEMPORARY)
WALKIN’(1954/PRESTIGE)
BAGS GROOVE(1954/PRESTIGE)
MILES DAVIS & THE MODERN JAZZ GIANTS(1954-56/PRESTIGE)
THE MUSINGS OF MILES(1955/PRESTIGE)
QUINTET / SEXTET(1955/PRESTIGE)
ROUND ABOUT MIDNIGHT(1955-56/COLUMBIA)
BASIC MILES(1955-56/COLUMBIA)
MILES(1955/PRESTIGE)
WORKIN’(1956/PRESTIGE)
STEAMIN’(1956/PRESTIGE)
RELAXIN’(1956/PRESTIGE)
MUSIC FOR BRASS(1956/COLUMBIA)
COOKIN’(1956/PRESTIGE)
MILES AHEAD(1957/COLUMBIA)
ASCENSEUR POUR L’ECHAFAUD(1957/FONTANA)
MILESTONES(1958/COLUMBIA)
SOMETHIN’ ELSE,CANNONBALL ADDERLEY(1958/BLUE NOTE)
1958MILES(1958/COLUMBIA)
LEGROUND JAZZ,MICHEL LEGRAND(1958/PHILIPS)
MILES & MONK AT NEWPORT(1958/COLUMBIA)
PORGY AND BESS(1958/COLUMBIA)
JAZZ AT PLAZA(1958/COLUMBIA)
KIND OF BLUE(1959/COLUMBIA)
SKETCHES OF SPAIN(1959-60/COLUMBIA)

60年代

いよいよ60年代に突入です。ますます楽しくなってきました。エレクトリックは苦手なジャズマイルス好きな方も、マイルス全部好きな方も楽しめるマイルスのゴールドラッシュ時代です。

60年代黄金のクインテットによって連発されるライブ盤はジャズファンにはたまらない完成度の高いものばかりですし、『E.S.P』以降のアルバムにはマイルスのオリジナリティがさらなる”新しさ”とともに感じられ、60年代最後には『ビッチーズ・ブリュー』や『イン・ア・サイレント・ウエイ』も控えています。

これからジャズを聴く人は、この時代のライブアルバムから入ればマイルスの、ジャズのエッセンスをストレートに感じやすいのではないかと思います。

かく言う私も、65~67年のアルバムでやっとストレートに、ジャズに音楽に感動できるようになりました。苦節10年。自身の音楽的センスのなさもさることながらジャズとはなんと色眼鏡の多い音楽世界でしょう。評論家や業界人はもっと“色眼鏡をとる”“解釈や可能性を広げる”営業活動なり批評なりをすべきではないかなどと他人に責任転嫁したくなります。

こうしてディスコグラフィーとなったアルバム名を眺めてみると、マイルスジャズの純度がどんどん高くなり、これ以上どこへ?と思うような高純度に到達し、そして新たな地平を切り開いて行く。この時のドキドキするような緊張感、これはきっとオリジナリティとかアートを脳髄で直に感じている瞬間だと思うのです。ジャズファンでよかったとつくづく思う瞬間でもあります。

LIVE IN STOCKHOLM 1960(1960/DRAGON)
COPENHAGEN,1960(1960/ROYAL JAZZ)
SOMEDAY MY PRINCE WILL COME(1961 /COLUMBIA)
MILES DAVIS AT THE BLACKHAWK VOL.1 &2(1961/COLUMBIA)
MILES DAVIS AT CARNEGIE HALL(1961/COLUMBIA)
MORE MUSIC FROM THE LEGENDARY CARNEGIE HALL CONCERT(1961/COLUMBIA)
ONE NIGHTS(1962-63/COLUMBIA)
JINGLE BELL JAZZ(1962/COLUMBIA)
SEVEN STEPS TO HEAVEN(1963/COLUMBIA)
MILES DAVIS IN EUROPE(1963/COLUMBIA)
MY FUNNY VALENTINE(1964/COLUMBIA)
FOUR&MORE(1964/COLUMBIA)
MILES IN TOKYO(1964/COLUMBIA)
MILES IN BERLIN(1964/COLUMBIA)
DAVISIANA(1964/MOON)
E.S.P.(1965/COLUMBIA)
COMPLETE LIVE AT THE PLUGGED NICKEL(1965/COLUMBIA)
MILES SMILES(1966/COLUMBIA)
SORCERER(1967/COLUMBIA)
NEFERTITI(1967/COLUMBIA)
WATER BABIES(1967/COLUMBIA)
MILES IN THE SKY(1967/COLUMBIA)
FILES DE KILIMANJARO(1968/COLUMBIA)
IN A SILENT WAY(1969/COLUMBIA)
1969 MILES(1969/SONY)
BITCHES BREW(1969/COLUMBIA)

70年代

35万〜40万ドルの年収を得、自宅をオスマン・トルコ調に設え直したマイルス。70年代に入ると、60年代の変革によって取り入れた多彩なリズムや電気系楽器はベーシックなものとなります。その落ち着きは音楽を深化へと導きます。マイルスの深い部分へと向かっていくその力は『ゲット・アップ・ウイズ・イット』へと結実していきます。

傑作『トリビュート・トゥ・ジャック・ジョンソン』に始まり、マイルスのソウル『ゲット・アップ・ウイズ・イット』が誕生、興奮のるつぼ『パンゲア』で締めくくる70年代マイルスを聴くことは、音楽によって感性は磨かれると実感し、たくさんの知性の瞬きを得る代え難い体験です。

アコースティック楽器を使用した「ジャズ」という型にマイルスをはめて聴いている人は、60年代あたりからついてこられなくなり、70年代は決定的に離れていくことでしょう。キーボードのチック・コリア、キース・ジャレットあたりはまだ聞き覚えがあっても、エレキギターのジョン・マクラフリン、レジー・ルーカス、ピート・コージー、ドラムのジャック・デジョネット、アル・フォスター、ベースのマイケル・ヘンダーソン、パーカッションのエム・トゥーメなどの名ミュージシャンはすでに「それ誰?」ということになっていると思われます。

BIG FUN(1969,70,72/COLUMBIA)
A TRIBUTE TO JACK JOHNSON(1970/COLUMBIA)
BLACK BEAUTY(1970/COLUMBIA)
GET UP WITH IT(1970-74/COLUMBIA)
MILES DAVIS AT FILLMORE(1970/COLUMBIA)
LIVE EVIL(1970/COLUMBIA)
BERLIN AND BEYOND(1971/LFYE)
ON THE CORNER(1972/COLUMBIA)
MILES DAVIS IN CONCERT(1972/COLUMBIA)
DARK MAGUS(1974/COLUMBIA)
AGHARTA(1975/COLUMBIA)
PANGAEA(1975/COLUMBIA)

80年代

「オレは、1975年から1980年の初めまで、一度も、ただの一度もだ、トランペットを持たなかった。指一本、触れなかった」。マイルスファン絶望の活動休止を経て、80年のカムバック作品『ザ・マン・ウイズ・ザ・ホーン』に始まる80年代。著者が最初に聴いた80年代のアルバムは『ウィ・ウォント・マイルス』でした。マーカス・ミラーという相棒を得てますます鋭くえぐり込んでくるあまりの迫力、あまりのカッコよさにフラフラになりました。これからマイルスを聴くなら良い1枚です。

『ユア・アンダー・アレスト』に収録されたマイケル・ジャクソンの「ヒューマン・ネイチャー」、シンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」も聴かなければならない曲です。原曲の良さをさらに増幅させたマイルスのブロウは、“こんなに情念をストレートに伝えるブロウが他にあったか?”と思わせます。『デコイ』、『ツツ』、『アマンドラ』など傑作揃いの80年代ではありますが、すでに91年のマイルス逝去を知る我々にはその悲しみを包含し始める年代でもあるのです。

THE MAN WITH THE HORN(1980,81/COLUMBIA)
WE WANT MILES(1981/COLUMBIA)
MILES DAVIS LIVE IN JAPAN ’81(1981/SONY)
STAR PEOPLE(1982,83/COLUMBIA)
DECOY(1983/COLUMBIA)
YOU’RE UNDER ARREST(1984,85/COLUMBIA)
AURA(1985/COLUMBIA)
FAHRENHEIT/TOTO(1986/COLUMBIA)
TUTU(1986/WARNER BROS.)
SIESTA(1987/WARNER BROS.)
AMANDLA(1988,89/WARNER BROS.)

 

90年代

マイルス・デューイ・デイビスIII世は1991年、アルバム『ドゥー・バップ』制作の途中にこの世を去ります。『ライブ・アラウンド・ザ・ワールド』に収録された「ハンニバル」という曲が最期の曲となり、スタジオ・レコーディングとしては『ドゥー・バップ』が最期となりました。

『ドゥー・バップ』ではラップを取り入れ、イージー・モー・ビーと組んでいます。最後まで新しいことを取り入れる姿勢には頭が下がります。しかも、いきなりアルバムとして完璧にマイルス・デイビス ミュージックに仕上がっているのです。マイルス・デイビスという人はいったいどこまで見えていたのでしょうか?

マイルスの死後、マイルスに捧げるアルバムが様々なミュージシャンにより制作されましたが、実は私、まったく聴いたことがありません。聴く気にもなれません。マイルスがアルバム『ゲット・アップ・ウィズ・イット』のジャケット中面に小さく「FOR DUKE」と記したことを思うと、そんなものはいらないと感じてしまうのです。

DINGO(1990/WARNER BROS.)
DOO-BOP(1991/WARNER BROS.)
MILES DAVIS & QUINCY JONES LIVE AT MONTREUX(1991/WARNER BROS.)
LIVE AROUND THE WORLD(1988,89,91/WARNER BROS.)


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